ミトコンドリアエネルギー産生機構の鍵 チトクロムCオキシダーゼ
生物は、食事などでとりこんだ有機化合物を、酸素を使ってエネルギーを取り出しATP(アデノシン3リン酸)に変換する機構をもっています。ヒトにもこのエネルギー産生機構が存在し、ミトコンドリアと呼ばれる細胞内小器官がエネルギー産生工場の中心的な場となっています。まず炭素化合物より取り出した電子をユビキノン(CoQ10)、チトクロムc、酸素と順々に伝達し、その酸化還元電位差から生まれるエネルギーを使ってプロトンをくみ上げ、膜をはさんだプロトンの濃度勾配、電気化学ポテンシャルを作ります。ここから生み出される駆動力をATP合成酵素の回転と共役させATPの合成を行う化学浸透共役は、生命の根幹をにないます。呼吸鎖酵素の構造解析もすすみ、反応機構も明らかになってきましたが、まだ課題が残っています。
ミトコンドリア病(指定難病21)の主な原因は、先天的あるいは後天的なミトコンドリア電子伝達系、酸化的リン酸化の機能不全です。ミトコンドリアは、ほぼすべてのヒトの細胞に存在するため、多臓器にわたり障害が生じます。我が国の登録患者数は1087人(平成24年)ですが、診断の難しさと症状が多彩であること、軽症の症例もたくさんいることより、実数は多いと予想されています。乳児期に発症する症例ほど予後が不良であり、有効な治療薬開発が望まれていますが、これまで補酵素の補充や、抗酸化薬を用いた臨床試験はことごとく失敗に終わり、症状を緩和する、あるいは進行を遅らせるFDA承認薬は未だゼロという状況です。
ミトコンドリアはヒトの体を構成する、ほぼすべての臓器の細胞に存在します。エネルギーを産生する工場ですので、エネルギーをたくさん消費する臓器でその不全がより顕在化しやすく、中枢神経系、心臓、腎臓、骨格筋をはじめとした全身の複数の臓器に障害が生じます。心臓で臓器障害が強くでるタイプはミトコンドリア心筋症とよばれるミトコンドリア病の1病型として循環器領域の難病の一つとなっています。また最近、ミトコンドリアのエネルギー産生機構の異常が、拡張型心筋症をはじめとする心疾患、パーキンソン病を含む神経変性疾患、糖尿病や癌などさまざま疾患でみられ、その病態に関係している可能性が指摘されています。すなわち、呼吸鎖活性の上昇、エネルギー産生機構の活性化が可能となれば、ミトコンドリア心筋症を含むミトコンドリア病をはじめ、多くのヒト疾患の治療に役立つ可能性があります。
私達はエネルギー産生機構の活性化を可能とし、それによるミトコンドリア病の治療薬開発をめざして、チトクロムCオキシダーゼという酵素の研究を行っています。
なぜチトクロムCオキシダーゼなのか?活性調節因子Higd1aの発見
私たちの研究グループは、ミトコンドリアにおけるエネルギー産生の新規調節分子(Higd1a)を発見し報告しました[1, 2]。Higd1aは低酸素環境で発現が誘導され、ミトコンドリアの呼吸鎖複合体IV(チトクロムCオキシダーゼ)に直接結合し、活性中心のヘム a周辺の構造をアロステリックに変化させることにより、オキシダーゼ活性を上昇させATP産生速度を上昇させることを明らかにしました。これらの事実は、ミトコンドリアエネルギー産生系において、チトクロムCオキシダーゼが律速酵素となる条件があること、さらに酸化的リン酸化によるエネルギー産生系が調節可能であることをはじめて証明したことになります。
この研究を発展させ、チトクロムCオキシダーゼの活性調節剤の開発を進めています。化合物のハイスループットスクリーニングにより、細胞での呼吸鎖活性を上昇させ、ミトコンドリア病モデル細胞の細胞生存率を改善させる有望な候補化合物を取得しており、現在開発を進めています。当然これらの化合物は、心疾患でみられるエネルギー不全を改善させ、新たな治療薬となる可能性があります。
【参考文献】
1. Hayashi T, et al. Proc Natl Acad Sci U S A. 2015 Feb 3;112(5):1553-8.
2. Nagao T, et al. FASEB J. 2020 in press